世界一周(チケット)の旅 ‐ インドいよいよ最後の訪問地インド。一番行きたくって、一番行きたくなかった国...。

10月19日(水)

 なんだか知らないけど、インドにはあまり行きたくなかった...。
 コルビュジェゆかりの地、
シャンディガールなんて、この機会を逃したら、一生行けないかとも思うのだけれど...。

 インドに行って、ひどい下痢になった人の話など散々聞いている。 また、直前にカシミヤ地方で大地震、ネパールからインド北部では日本脳炎で、それぞれ数千人の人が亡くなっている...。

 デリーの空港には午前2時に到着。
 インド人が傲慢だとは聞いていたけど、着陸した途端、シートベルトのサインが消えてないのに皆立ち上がり、荷物をどんどん降ろし始める。座っている人には断ったりしないので、通路側のアームレストの上に腕を置いていたら、凄い重い荷物を上から放り投げて来た。
 むかついて、「
この下には俺の腕があるんだぞ!」というと、「なに、うるさいこといってるんだ」という表情で、荷物こそどかしたけど。「ゴメン」の一言もない。
 インドの印象がより一層悪くなる...。

   ホテルに出迎えをお願いしたけど、日本の
  軽ワゴンを改造したその車がボロイこと...。
   また、インド人の傲慢さは、運転にもあら
  われ、道は譲らないし、クラクションの嵐。

   レースのような状況が終わったと思ったら、
  
スラム街のような路地に入った。入ったと
  思ったら、
停まった...。なんと、夜は絶対に
  歩けないようなところにホテルがあった...。






   できるだけ、精神的な負担を減らすため、
  
インド人の同僚のアドバイスに従い、1泊
  1,000ルピア程度(約3,000円)の高めのホテル
  予約したのに...。

   宿泊したのは
ゴールド・リージェンシー
  名前は凄いけど、実際はインターネットに
  出ている状況と全く異なる。
   すぐにでも
インドを出たくなってきた...。





   朝起きて、シャワーを浴びようとしたら、
  
お湯が出ない。仕方ないので水シャワーを
  浴びた...。
   部屋には窓がなかったので、ホテルを出て
  
ビックリ!!目の前に広がる世界が信じら
  れない。これがインドの経済的な中心地、
  ニユー・デリー駅からすぐのところにある、
  
メイン・バザールの光景。
   ホテルの看板が見えるけど、ここが入口。






   ホテルから歩いて5分でニュー・デリー駅
  に到着。明日の列車の予約をする。

   インドの首都の駅前はこんな感じ。
  左の建物は一体、何階建てなんだろう。








   




   
一瞬、目を疑った!!
   なんと、多数の小さい子供が小さい檻
  のようなものに入れられ、自転車でひか
  れている。

   まさか、
人身売買じゃないよね...。








   今のホテルには耐えられないので、代わ
  りのホテルを探したけど、ニュー・デリー駅
  周辺には、まともなホテルはほとんどない。
  というか、
マクドナルドどころか、まともな
  レストランもない。
   正直、食べるところがないだけで、
逃げる
  ところがない
と感じてしまった。






   埃っぽい道路には糞尿の臭いがたちこめ、
  蝿や蚊が飛び回る。クラクションはひっきり
  なしに鳴り響く。

   実は、私が泊まったホテルのすぐそばで、
  
帰国から数日後、爆破テロが発生!!死者
  
多数!!
   なんで、こんな貧しいところでテロをやるのか
  全く理解できない!





   昼食はホテルに戻って戴くことに。メニュー
  を見ると、例えばチキンであれば、チキン
  カレーとチキンマサラがある。よく、インドには、
  いわゆる
「カレー」というものがないと聞いて
  いただけに
意外!チキンカレー注文。
   味は悪くないけど、油が凄い厚みで浮いて
  いる、というより、油に香料を溶かした感じ。
  とはいえ、ライスをお代わりしてしまった。ルー
  がトロトロで味が濃いため、ご飯で薄めたよう
  な感じ。




   凹んではいられないので、デリー駅そばに
  ある
ジャマー・マスジッドに向かう。
   ガイドを雇わず、
リクシャー(三輪タクシー)
  などにも乗らず、まともな地図もないので迷い
  ながらも、歩きでなんとか到着(写真中央)。

   途中、現地人が殴り合いのケンカをしている
  のを何度も見た...。ガンジーの無抵抗主義は
  なんだったのか...。
奇跡??





   インドはヒンズー教か仏教しかないと思って
  いたのだけど、ここはイスラムのモスク。

   確か、インド人でイスラム教徒だった人は
  パキスタンとアフガニスタンに移って、インド
  から独立したと同僚から聞いたことがあった。
  それでも、ここをモスクとして残しているのは
  インド人の懐の深さを感じる。







   靴を脱いで入場。
おおっ!外壁の外から
  見ているのと異なり、とてもバランスが良く、
  美しい。

   正面から見て、左側の塔には登ることが
  できる。途中で休むときつくなるから、一気
  に昇ろう!!






   




   寺院を出てすぐに、物乞いの
幼い女の子
  
が寄って来た。断っても、怒ってもついてくる。
  あんなに幼い子が自分の意思でせがんでくる
  とは思えないので、その子の親が強要している
  のだろう。
   結局、その子にはなにもあげなかったけど、
  飲み物や食べ物をその場で食べさせてあげ
  ればよかった...。





   コノート・プレースと呼ばれる地域まで
  歩いてみたら、なんと
マクドナルドを発見!
   まるで、海を漂流しているしている時に
  そばを通る船を発見したような感覚を
  覚えた。
   でも、晩飯は無理してホテルでタンドリー・
  チキンと今度はマトンのマサラを注文。
  マサラの方はカレーとの違いがわからない。

  どちらにしても、
ドロドロ





   部屋に帰って、シャワーを浴びようとしたら、
  やはりお湯がでない。頭に来たので、もう夜
  の9時だったけど荷物をまとめて外に出た...。
   ちょっと悩んで、ニュー・デリー駅そばにある、
  
ホテル・ツーリスト・デラックスという3つ★
  ホテルに入った。部屋代は約5割増の1,450
  ルピア。部屋は新しく、とても清潔感がある。
   早速、シャワーを浴びると、
お湯がでない...。
   この国では、中級クラスのホテルでも、ホット・
  シャワーを期待してはいけないようである。




10月20日(木)

   今日はアーグラーにある、タージ・マハル
  に行くことに。
   ホテルから
オートリクシャーで列車の出る
  ハズラート・ニザームウッディーン駅に向かう。
  インドネシアでも見たことがあるが、乗るの
  は初めて。予想通り乗り心地は悪く、つか
  まるところがないので、急カーブをまがると
  外に放りだされそうになる。
   もちろん、乗る前に値段の交渉が必要。






   指定席で予約したけど、シートの番号は
  チケットには記載されずに、入り口に貼り
  出される。
   自分の名前を発見して、ちょっと安心する。










   予約した2等エアコン付き車両は寝台車
  だった。昼間だというのに、上のベットを
  しまわない。かなり窮屈な姿勢のまま3時間
  揺られ
アーグラー駅に到着。













   アーグラー駅からもオートリクシャー
  に揺られて、
タージ・マハルに到着!

   食べ物や飲み物は持ち込めなく、その
  代わりに無料でミネラル・ウォーターを
  配っている。入り口で厳しくチェックされる
  けど、アテネのアクロポリスよりはマシ。







   やっぱり、
ここは良い!!来た甲斐が
  ある。見所はあまりないけれど、荘厳な
  建物の佇まいを眼にするだけで
充分満足

   逆さタージ・マハルもなんとか見ること
  ができた。








   建物の入り口の裏側なども手抜きなどなく、
  国力を掛けたという話も頷ける。
   見ためがとっても涼しげ。










   引き続き、
アーグラー城に向かったけど、
  しつこく客引きをしてきたリクシャー(自転車
  版タクシー)親父によれば、ここは入場料が
  高い割には見所がないという。
   入り口まで行ってみたけど、確かに入場料
  の割には面白くなさそうだったので、その
  オヤジを信じて入るのをやめて、まずはそば
  にあるレストランまでお願いした。






   昼も過ぎ、日差しも柔らかくなった中、オヤジ
  が引っ張るリクシャーに乗るのは、ノンビリして
  いて、なかなか楽しい。

   ところで、帰りの列車は満席でエコノミークラス
  になってしまった。しかも、到着時間は
11時...
   リクシャーの親父に相談したら、デリー行き
  で16時半に出るバスがあるという。レストラン
  に行く前に、その代理店にいってもらった。





   オヤジに連れて行ってもらったレストランで
  不味いカレーを食べてから、バスに乗り込む。
  大型の観光バスかと思ったら、オンボロ・マイ
  クロバス...。
   ちなみに、途中2カ所寺院を見学するとの
  こと。値段は列車が2等で400ルピーに対し、
  250ルピーとかなり安い。列車のチケットを
  キャンセルしたら半額戻ってきたので、
  ちょっと得した気もする。





   しかし、このバスが揺れること、揺れること。
  バスもボロいが、道もボコボコ。
   途中、クリシャナの生まれた場所へ。と
  いっても、
5500年前の話だけどね。なんだか、
  熱海とかにある特産物センターのような、
  
伸び切った雰囲気。ある意味インドらしいと
  思った(内部は写真撮影禁止)。








   ここは別のところ。話を聞かされた後、
  眉間に
赤いしるしを付けられてしまった。

   どうやら、インド人の宗教団体ご一行様に
  紛れ込んでしまったようで、全員どこでも裸足。
  説教の合間に「
ジェイ!」と連呼していた。








   見学するのは2ヶ所だと聞いていたけど、
  実際には5ヵ所くらい停まったと思う。
   というのは、全ての見学に参加したわけ
  ではないから。
夜の11時半に起こされて、
  薄暗い通りを歩かされて、真っ暗なお寺を
  回る気はしないでしょ?
   とはいえ、写真の建物はロンドンで見た、
  フォスターNo.1 ロンドン・ウォール
  似ていると思う。





   突然、街中が停電に。唯一の明かりが
  物売りのところだけになった...。心細い。

   結局、ニュー・デリーに着いたのは深夜
  の1時過ぎ。歩いてホテルに向かったけど、
  さすがに恐かった。ホテルについたら、
  やはりお湯は出ないし、テレビも映らなく
  なっていた...。
   相変わらず外はクラクションの嵐。静か
  になるのは、2時過ぎから5時前くらい。




10月21日(金)

   朝、ホテルのレストランの席に着いた
  けど、なかなか注文を取りに来ない。
   あまりにもひどいので、チェックアウト
  して、コノートの
マクドナルドへ。

   
ベジタブル・バーガーがあったので
  注文。味は日本でやっているハッシュ・
  ポテトをインド風味のソースを加えて、
  バンズで挟んだ感じ。まあまあ。
   
それにしても小さい…





   「当店では牛肉および牛肉製品は扱って
  おりません」という告知があるけど、そりゃ、
  そうだろう。でも、豚肉は扱っているのかと、
  別の疑問が浮かぶ...。









   前日に予約していたホテル・ヨークにいって
  みたら、部屋がないという...。最低...。
   仕方ないので、マクドナルドの隣にある

  ホテル・
アルカに行ってみる。シングルが税
  込みで2250ルピアで空いているという。お湯も
  出るというので、直ぐにチェックインし、
ホット・
  
シャワーを浴びる。思わず笑いたくなる位
  
気持ちがイイ!!
   部屋が鏡張りなのは、
狭いから?






   シャンプーしたての髪を靡かせて歩き、
  
カーリー寺院へ。歩道の上に乗っかる
  ように建つ、佇まいがかわいい。










   象の顔を持つ仏様などを見ていると、
  思わず笑ってしまいそうになるけど、回り
  は真剣そのもの。外人だからといって、
  失礼な態度は許されないし、したくない。
  でも、シャワーの後のせいもあるかもしれ
  ないけど、なんか楽しい気分になってきた。
  
笑顔がとまらない...。








   そんな調子だったから、中に入って、
  仏像を見た瞬間に吹き出しそうになった。

   こんなのインドネシア以来...。










   いろいろ迷って、歩き回った後、なんとか
  
ラクシュミー・ナーラヤン寺院に到着。

   
ここは最高!入場は無料だし、インドなら
  ではの世界がある。建てられたのが1932年
  と、インドとしては現代といえる時期ではある
  けど、充分楽しめる。










   リクシャーに乗って、ジャンタル・マンタルに
  向かう途中、とてもユニークな建物をいくつか
  発見した。途中で降りて、写真撮影。


   下の建物は同じ敷地に建っていて、つい
  最近まで官庁舎として使われていたようで、
  大規模な改装中のよう。







   



   上の2つの建物の間には、まるで食堂
  か売店かと思われるくらいに小さい建物
  がある。

   柵はできているけど、気になったので
  敷地に入ってみたら、
銃を持ったガード・
  
マンが出てきた!逃げるように退散!








   ジャンタル・マンタルに到着。ここでは
  デッカイ日時計や天体観測に関する計器
  を見学することができるけど、説明文が
  充分でなかったので、期待していた程は
  楽しめなかった。









   ちょっと時間があるので、デリー郊外に
  ある
ロータス・テンプルに行ってみた。
  
バハーイ・ハウス・オブ・ワーシップ
  正式名称。
   どうやら、ここはイラン起源のイスラム教
  の建物らしい。こんなに素晴らしいデキなの
  に入場無料。広大な敷地に、ポツンと建って
  いる。







   『
ベシだべし〜』って、分かるかな??
  
ニャロメ!

   これは投光器。










   建物のすぐ横にはプールがあり、これが
  シティ・ホテルのような記号的なゴージャス
  感を醸しだしている。

   ★★★★★建築マニアにはお奨め!








   デリー市内に戻ってから、インド人建築家
  
ラージ・レワルによる、国会図書館
  行ってみたけど、ゲートでいろいろ交渉して
  みても、レターがないと内部の見学はでき
  ないとのこと。
   日本大使館に行ってレターを書いてもらえ
  ば入れるよというが、時間もないし、無職の
  私には恐らく無理だと思って諦めた。
   うーっん!残念!!






   コノート・プレイスの周辺を歩いてみると、
  ど真ん中に地下鉄の換気口と思われる、
  奇異な建物を発見(トイレかも?)!
   このテイストが、インドのヴァナキュラー
  (土着性・風流など)なのかな。

  下はそのそばにある
ジーヴァン・バラティ・
  
ビル。設計はチャールズ・コレアという、
  こちらも有名なインド人建築家。中には
  なんとか入ることができた。



   




   雑誌ブルータスに載っていたホテル、
  
ザ・パーク・ニュー・デリーもコノート・
  プレイスのそばにある。値段を聞きに
  いったら、シングルで1泊
US250ドル
  だって…。









   晩飯はホテルとマクドナルドの間に
  ある、
SARAVANA BHAVAN
  いう、南インドのベジタリアン・レストラン
  にいってみた。どうやら、チェーン店
  のようだ。
   ミールという料理を注文。いろいろな
  カレーの盛り合わせといったところ。
  マンゴー・シェークも頼んで177ルピア。
   結構、楽しめました。





10月22日(土)

   朝起きたら、喉が無茶苦茶痛い。昨日
  の昼くらいから気になり出したので、30分
  おきくらいでうがいをしていたんだけど、
  遅かったようだ。インドに来る際には、防塵
  マスクを持参することをお奨めします。
   7時40分発のチャンディガール行きの
  列車に乗る。3時間半乗って、1等なのに
  900ルピーは安い。 車窓からは信じられない
  くらい悲惨なスラムを、何度も見てしまうこと
  に...。





   車内ではサービス・マネージャーと思わ
  れる、スーツ姿の親父から慇懃に赤い
  薔薇を一本手渡される。
   その後は、クラッカーから始まり、コーン
  フレーク、パン、オムレツとほぼエンドレス
  で
ジャンク・フードが運ばれてくる。また
  1リットルの水と新聞まで全ての客に配ら
  れる。ちょっと、やり過ぎの感も。それなら、
  座席などを改良してほしい。






   チャンディガールはデリーの北部に位置
  するためか、晴天なのに気温、湿度ともに
  低いようである。なによりも、排気ガスが
  少ないようで、喉が痛い私には有り難い。
   日帰りも可能だけど、体調が悪いし、
  最後まで慌てて歩き回るのは嫌なので、
  
ホテル・ピカデリーという4つ星ホテル!
  に宿泊。2500ルピー(約7,000円)。
   もちろん、快適、快適!






   ホテルのある地域は、かなり都市計画と
  いうか、規制が厳しいようで、ほぼ同じ高さ
  で建物が連なり、まるで、巨大な一つの
  建築物のようである。









   日本からは地図らしい地図を持って
  こなかったけど、ル・コルビュジェが手
  掛けたのが、政府機関が多かったので、
  写真と名前をいえばドライバーに通じた。
   まずは、
最高裁判所へ。
   平日は内部の見学が可能だとブルータス
  に書いてあったけど、土曜日でも可能
  だった。最も、入り口でいろいろ聞かれた
  けどね。





   
受付から始まるコルビュジェならではの
  スロープを駆け上がると、そこからは隣接
  する州議事堂と合同庁舎が見えるでは
  ないか!! 正直、興味は州議事堂の方
  に移ってしまい、最高裁判所の中はしっかり
  とは見ていないけど、造りは荒いものの、
  コルビジュが本気で設計したことが伺いしる
  ことができる。







   
の壁のような柱は、ポルティコ
  と呼ばれ、前廊とか柱廊という意味らしい。

   これだけデカイくて、単純だけど派手な
  色が使われると、やはり圧倒されるくらい
  の迫力がある。

   州議事堂の方向に向かって歩きだし、ふと
  右を見てみると...!!






   なんと、コルビュジェの
オープン・ハンド・
  
モニュメント、または開かれた手が...。

   「ああーっ!」、感動のあまり、呆然として
  しまった。これを見にインドまで、チャンディ
  ガールまで来たようなもの。

   芝生が生えた、広大な敷地に、意外に
  ポツンと設置されていて、周りにはお土産
  屋どころか、なんの建物もない。






   附属して、手のひらを背にして、演説を
  行うような演壇と、客席としても使われる、
  幅広い階段があった。

   誰が、どんな演説をするのだろうか。私
  には子供達がそれぞれの夢を語っている
  光景が眼に見えるようだった。
   それは宇宙飛行士になることだろうか、
  世界平和だろうか...。






   ちなみにこの巨大な手の平は、風見鶏のよう
  に、風の向きに合わせて回転する。
   ちょースローなんだけど、ギーーッ、ギーーッと
  いう音は何かを語ろうとしているような気がして
  ならなかった。

   ここでなにか考え事をするのもいいかも。誰も
  見ていない演壇から、演説や誓いなどを述べて
  も良い。きっとコルビュジェは見ていてくれる。







   最高裁判所からも歩いて行ける合同庁舎
  は、ブルータスに書いてある通り、かはり
  セキュリティ・チェックが厳しく、塀の外から
  の撮影が限界。

   でも、まあ、あまりにもデザイン要素が
  多くて、自分の好みじゃないけど。







   いよいよ
州議事堂。なんとか入り口で

  インド兵に愛想を振りまいて、敷地内に
  入ることができたけど、中の見学は平日
  だけとのこと。
   1泊の予定だったので、見れなかった
  のはとても残念。








   雑誌とかではあまり紹介されていない
  けど、こんな自由な表情を持つ渡り廊下、
  兼、職員用宿発施設、兼、駐車場がある。

   下の写真は州議事堂の外観。上の写真
  を正面だとしたら、左下の写真は左側。
  右下の写真は裏側になる。インドの強い
  日差しを避けるためか、方位は分から
  ないけど、ブリーズ・ソレイユ(?)の壁には
  にはそれぞれに角度が付けられている。




   




   こうやって見ると、ラ・トゥーレットの修道院
  のような印象。
   ポルティコ(?)に施された肉抜きのような
  モチーフはなにを意味しているのかわから
  なかった。









   最高裁判所を望む中庭には、コルビュジェ
  の別の作品が。これは建設中ではなくて、
  オブジェだという...。
   よくわからん。









   なんだか満たされないまま、州議事堂を
  出て、
ロック・ガーデンに行ったけど、イマ
  イチ。でも帰国後調べると、そこはほんの
  一部だったようで...。
   その後、いろいろ迷った後、
スクナ湖
  到着。スクナ湖は人造湖なのに、広大。
  コルビュジェが手がけた
レーク・クラブ
  探したけど、見つからない...。不味い昼食を
  摂って、ホテルに戻った。





   ホテルでちょこっと休憩してから、ショッピング
  に繰り出すけど、お目当ての『開かれた手』の
  置物は見つからない。
   ホテルのフロントで聞いたのに、残念。

   晩飯はホテルの隣にある、中華料理店で
  済ますことに。
   味はまあまあ、値段はそこそこ。






10月23日(日)

 昨晩は風邪で寝込んでしまったっから、朝、シャワーを浴びることに。4つホテルだから、まさかとは思ったけど、お湯が出ない...。
 フロントとになんどかクレームしたら、「5分以内にリリースされる」という。マスが放流されるわけじゃないんだから...。と思っていたら、本当に5分したらお湯が出てきた...。

   予定を変更し、この日も宿泊して、翌日、
  州議事堂に行くことにしたので、この日に
  やることを準備していなかった。

   そこで、開かれた手の置物を求めて
  セクター17に行ってみるけど、見つから
  ない...。観光案内所で聞いたら、政府の
  お土産屋がスクナ湖畔にあり、そこで売って
  いて、それ以外の場所では売っていない
  とのこと。




   またまた、オートリクシャーに乗り、昨日
  行った
スクナ湖へ。売店に行ったら、
  
ありました、ありました!!
   ブルータスに載っていた値段より20ルピー
  安い、180ルピー。実物を見ると、もう少し
  安くても良さそうなデキ。
   散々粘ったんだけど、値引きは政府機関
  のためにできない模様なので、定価で購入。






   昨日発見できなかった、
レーク・クラブ
  観光客に聞いて、なんとか発見。入り口で
  散々もめた挙句、会員制だからとちょっとの
  見学も、写真撮影もさせてもらえなかった。
   ちなみにカースト上、海外からの観光客
  
はかなり低い身分になるらしい。

   別に、よその国の慣習に文句をいうつもり
  はないけど、そんな扱われ方だった。

   湖畔では『開かれた手』の記念碑を発見。




10月24日(月)

   州議事堂には9時前に到着。守衛に
  聞いてみると、見学は10時からとのこと...。
   ポツンと立って待っていると、9時半くらい
  に職員が現れて、建物の中に入れてくれた!
   入口で「レターはあるのか?」と聞かれた
  ので、ないと答えたら、今度は「建築家か?」
  と聞かれた。仕方ないので、そうだといったら、
  「
IDを見せろ」という。日本にはそういうもの
  はないといって、なんとかごまかせた。
   職員とともに会議場へ。




   見学前に、カメラや携帯は全て厳しく取り
  上げられてしまったので、内部を撮影できな
  かったのは残念。

   中は遠路はるばる訪れるに値するほど、
  とても幻想的といえるくらい、素晴らしい空間
  だった。
   そんな空間が保存されているのではなく、
  実際に今でも使われているのに、不思議な
  違和感を感じた。




   チャンディガール駅に到着し、キップ売り
  場に横から並ぶ。この国では「列を作って
  順番に!」なんて感覚はないようである。
  
関西か!
   11時半発の帰りの列車には、なんとか
  間に合った


   写真はチャンディガール駅。どこか、昔の
  茅ヶ崎駅を思わせる雰囲気がある。





   なんと帰りの運賃はたったの83ルピー
  (
約250円!)。行きの運賃の10分の1
  以下なので、覚悟はしていたけど、この有様。
   この状態で5時間は無理。 駅の職員は
  満席といっていたけど、車掌と交渉してみたら、
  315ルピーの追加を払ってアップグレード
  できた。







   弁当を売りに来たので、注文してみた。
  受け取ってみると、写真では結構美味そう
  だけど、私には到底食べられる代物では
  なかった。
   ほんのちょっとカレーとご飯を食べた後、
  どこに捨てていいか悩んでいたら、見かね
  た小学生が『窓から外に投げ捨てれば良い
  んだよ!』と笑顔で話しかけてきた。






   私が躊躇していると、一人の男の子が
  私の食べかすを窓から投げ捨ててくれた
  (捨ててしまった)...。
   そして、笑顔で「
ここはインドだよ!」 と
  いう。見ていると、引率の先生も窓からゴミ
  をポンポン投げ捨てているではないか...。

   どうやら、その投げ捨てたゴミを拾って
  生活している人達がいるようで、線路沿い
  にはスラムが必ずある。




   インド人はどこでもゴミをポンポン投げ
  捨てる。で、そのゴミを牛、豚、犬、人が
  美味そうに食べる...。

   線路沿いに捨てられたゴミが堆積すると、
  誰かが火をつけるようで、エアコン無しの
  列車に乗っていると、始終埃っぽい風と
  プラスチックが燃える臭いが付き纏う。
   よく、光化学スモッグにならないと思う。





10月25日(火)


   この日はこのツアーの最終日。翌日には
  成田に到着する。
   とはいえ、出発が深夜なので、
赤い壁
  
レッド・フォート)と呼ばれるラール・キラー
  に行ってみた。
   入場料は意外に安くて、100ルピー。







   



   




   内部はいろいろと見所はあるようだけど、
  どこもいまひとつ。目から鱗が落ちるような
  ことはなかった。
   入場料が安いのにも納得。

   それより、時々現れる、男同士で手を繋い
  でいる2人の方が気になった。確か、一夫
  多妻の国だと思うので、とても不可解。






   夕方になってから、空港に移動。
   ルピーが余ったので、土産物屋を覗いて
  いたら、ウルトラマンのようなスリッパが
  売っていた!!迷わず購入。

   ちなみに、旅から帰って約半年、一度も
  このスリッパを使ったことはありません...。






 やっぱり、インドは好きになれなかった...。『早くここから出たい』とずっと思っていた。そして、帰宅後は暫く行きたくない。でも、レポートの最後がこれではしまらない。

● アンタッチャブル
 インドでは物乞いが街中に溢れている。日本人観光客は困った顔を(またはヘラヘラと)しながらも、皆、彼らに施しをしているようである。
 私はインドだけでなく、この旅行中、一度も施しをしなかった。それは、自分がその時、無職であったこともあるし、物乞いをするだけでお金を稼げる、ということが根付いてしまえば、彼らが努力をしなくなると考えたこともある。

 それでは、
現地の人がどうするか、ちょっと観察してみた。すると、体が不自由な人には、オートリクシャー(簡易タクシー)のような職に就いている人でもお金をあげている。 一方、単なる物乞いには信じられないくらい、冷たくあしらっている。

 インドには未だにカーストが残っていると聞く。スラムに住み、物乞いをしているような人達は恐らく住民として登録されていなく、よって選挙権も与えられていないだろう(推測)。もしかしたら、
そもそも人として見られてないかも知れない。極端な言い方をしてしまえば、彼等は存在してはいないのかもしれない。

 アメリカような(日本にはない?)児童保護法がないのであれば、ルート・コーズ(根源的な理由)は政府側にあるということになるだろう。しかし、見ている限りではインド政府だけでなく、一般の富裕層も同じような考え方をしているようなので、本件に関しては早急な改善など望めないだろう。

 であれば、話しが戻るが、政府が保護等を考えていない人達に、海外からの観光客がお金を与えるということは内政干渉とも考えられる。また、仮にそのお金のお陰で彼等が生き延びることができているとすれば、間接的に観光客は彼らの存在を下支えして、その結果、
観光客が彼らを苦しみ続けていることになる。もちろん、極論であるけれど。

 日本に帰ってきてテレビを見たら、大地震が起きたカシミア地方への救援活動のことを放送していた。放送の骨子は、国による援助は、実際に被害にあった遠隔地には届かず、そのような地域を支えているのは日本のNGO/NPO団体だという。
 でも、見ていると、ちょっと複雑な心境になってしまった。
 確かに、地震のために苦しい生活を強いられている人達を見ると悲惨な状況だと感じるし、なんとか助ける方法がないものかと考えてしまう。しかし、それと同じくらい
悲惨な生活をしている人達が都市部に存在し、自分の国の政府からも無視されているのである。
 日本からの援助が被災地に届かない理由のひとつなのかもしれない。


豊かな国、日本
 自分はこれまで
『豊かな国、日本』と聞くと、反吐がでるくらい、嫌な気分になっていた。そんなの棺桶に片足突っ込んだオヤジ達が、自分の生き様、存在を肯定するためにほざいていているだけだと...。
 お役所では天下りが横行し、国の累積赤字は肥大化している現実には目もくれず、掛け金の割には十二分の年金をもらって、悠々と暮らしているクソ親父の顔が浮かんだ。
 そのクソオヤジ達が進めた『経済成長』のお陰で、結果として、公害・自然破壊や人口の都市への集中化が進んだなどのネガティブな面だけが思い浮かんでいた。 インドに来る前は...。

 インドに来てみて、始めて
日本の豊かさをポジティブに認識することができた。国民が『義務』として初等、中等教育を受けられる。これは、ある意味貧しい層にもチャンスを与えられていると思う。日本人が当たり前だと思っていることが、実はよその国では当たり前ではない。そんなことはわかっていたが、ここに来てみてその素晴らしさを実感することができた。


 
日本は本当に素晴らしい国だったのだ。

 これが結局、今回のツアーで一番貴重な発見だった。


● ベジタリアンになる自由
 『豊かな国、日本』だけど、ベジタリアンなどの食生活に対する個人のポリシーに関しては、ほとんどの日本人は単に飽食の世界に浸っているだけで、基本的には豚とおんなじ。出された物を口に運んでいるだけである。

 日本では『出された物を、黙って食べる』ことが美学とされていた。というか、当たり前のことであった。最近の状況は分からないけど、自分の子供の頃は、学校給食は残さずに食べるのが当たり前。ベジタリアンなどいなかった。

 インドでは小学生が突然母親に向かい、「僕(私)、今日からベジタリアンになる!」ということがあるそうである。その際、母親はその発言を尊重し、それ以降はその子供にはベジタリアン料理を別に作ってあげるそうである。この辺り、日本では、特に共稼ぎの家庭では、考えられないと思う。
 
インドにはベジタリアンになる自由がある。日本にはない、とはいわないけれど、かなり状況は異なると思う。この点から考えると、やはり日本における学校教育は未だに護送船団然としていて、幼い子供の時代から自己の主張を許さないような環境があるのではないかと思う。『学校というのは集団生活を学ぶところ』というのは、無意味だとは思わないけど、子供の個性を喪失させる結果に終わってしまうのであれば、言語道断だと思う。

 一方、インドの街角では
、屋台には痩せた鶏がタンドリー・チキンの下準備を終えて、吊されていたりする。また、痩せた羊も自転車に乗せられて売られていた。
 食事をしている際、そんなことを考えていると、フォークが止まる。もちろん、動物愛護のためではない。あんなまずそうな素材を調理したものを食しているのかと思うと、情けなくなってきたのである。真剣に、インドに居る間だけでも、ベジタリアンになることを考えた...。
 インド人にベジタリアンが多いのは、単に個人が主張をしやすい環境があるだけではなさそうである。


● カレーとマサラ
 話は変わるけど、インドに行く前に、よく、『
インドにはカレーがない』という話を聞いた。東京にいるときに、インド人の同僚に確認してみたら、なんだかはっきりしない答えだった。

 インドに来てみて、(デリー周辺の)そこそこのレストランに入れば、
カレーとマサラは両方メニューに載っていることを確認。タージ・マハルを見に行った際、リキシャーのオヤジに連れて行かれたマヤというホテルで店員に聞いてみたところ、カレーとマサラの違いは、マサラのほうが玉子が入っていたりしてこってりで、カレーのほうが優しい味だという。
 言い方を換えれば、『インドにはカレーがない』というのは
ガセビアだったのだ。



成田到着
 インドを深夜に発ち、香港で乗り換えて、やっと成田に到着。さっさと電車に乗って帰ろうと思っていたら、インドなどの国に行っていた人は質問票に記入しなくてはいけないとのこと...。
 
風邪が直り切っていないので、ゴホゴホいいながら記入し、「もう、ほとんど治っていますから!」と明るく係員に言って、なんとか通過。

 さあ荷物を受け取って、帰ろうと思ったら、見たこともないスーツケースに私の名前が大きく書かれた紙が貼られ、寂しく1個だけコンベアの上を回っている...。一瞬、誰かが私の荷物の中に麻薬でもいれたのがみつかったのかと思ったけど、香港で乗り換えの際に荷物の載せ換えが間に合わなく、到着が翌日になるとのこと。まさかとは思ったけど、ちょっと安心した。

   自宅に着くと、夜12時を回っていた。
丁度
  
100日間旅行していたことになる。
   もともと新しい靴を履いて出発したのでは
  ないけど、靴のかかとの部分は
ボロボロ
  途中で買い換えようかとも思ったけど、なん
  とか乗り越えることができた。

   使いづらい
シャープの携帯とも、やっとこれ
  でお別れができる。この100日間
イライラ
  毎日だった。




おまけ
 帰国して、自宅の本棚を見ていたら、堀田 善衛 著の『インドで考えたこと』(岩波新書)という本をみつけた。著者がインド滞在中に発見した、インドと日本、またはアジア各国と日本の文化的な違いが面白く描かれている。1957年に書かれた本だけど、基本的には自分が2005年に体験した世界とあまり変わらない印象。
 本当はここで紹介したいところだけど、ダラダラしてしまいそうなので、やめときます。特に観光でインドに行く予定がある方には、読んでみることをお奨めします。


Mission Completed

おしまい

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