沖縄そば刑事 沖縄編 その後「そりゃ、もう、びっくりでした。」(本人 談)

 ガサイレ沖縄編が終わり、約4ヶ月経った2月上旬、会社で仕事をしていると会社の電話が鳴った。

 いろいろと忙しい時期であり、また投資やヘッド・ハンティングの話かと話半分に話し始めると、
「北中城村の喜屋武です...。」という...。

 
「はあーっ!!?」頭の中が混乱して、次にしゃべる言葉が見つからない。その一方、体は反応して、背筋が伸び、思わず立ち上がっていた。

 確かに、村長にはお会いできなかったので、会社の名刺に一言書いて、村役場の女性職員に「村長に渡してください」とお願いしていた。本当に村長に渡してもらえるのか、渡してもらえたとして、村長が目に留めてくれるのかについては不安があったが、もし村長の目に留まる前に捨てられても、それでよいと考えていた。
 村役場の職員の無関心を装いながらも、確実に私のことをスキャニングするような視線を浴びながら、勇気を持って、自分がやりたいと思ったことを遂行できたのだから、それで満足だった...。

 
でも、どうやら受話器の向こうには、喜屋武村長がいらっしゃるようである...!
 なんでも、アポ無しで突然現れ、名刺を置いていった私のことに興味を持たれたという。
 その後、沖縄の人たちがいかに「平和」という言葉に対して敏感であり、切望しているかなどをとても熱く語ってくださった。

 時間的には5分もお話できなかったと思うが、呼吸をするのを忘れそうになるくらい耳から入る村長の言葉に緊張して聞き入り、その一方、頭の中では、あの暑い日に(といっても10月だったが)訪れた村役場や写真でしか拝見していないが、村長のお顔を思い浮かべていたりした。

 「時々、東京にも来ることがあるから、今度会いましょう」という言葉をもって村長からの電話は切れてしまった。
 「スイッチという本にまた取材記事が載ったので今度送るよ」といってくれた。でも、その本はまだ届いていない。電話をするのに4ヶ月かかったのだから、きっとその本も1年後くらいにひょっこり届いたりするのだろう...。

 
また行かなくては...。

(「スイッチ」2003年7月号より)

 村長が話してくれた「スイッチ」を取り寄せた。「ナビ」に出ていたような、平和に対する熱き思いが記載されていると思っていたら、以外にも論点は「国家からの自立」であった...。

 一部、取材を行った駒沢 敏器氏の解釈も若干混じっているようであるが、「この不景気をなんとかしろ!」と新橋のガード下で叫んでいるオヤジ達。この人たちは、今までなんにもしてこなかった人で、会社にぶら下がり、国にぶら下がってきた、周りに依存してきた人達であり、それでもなお、自分のせいではないと考えているのである。
 「
国が信用できないのだったら、自分で始める」という自立心を持たなければいけないと村長はいう。全くその通りである。

 この7月号は沖縄特集で、「ナビィの恋」、「ホテル・ハイビスカス」の監督、中江 裕司氏の記事なども掲載されているので、都心に住んでいて、沖縄に興味がある人は、是非とも手にとって読んでいただきたい。
 この本を読んで、さらに沖縄を好きになるかもしれないし、その重さに読み続けられなくなるかもしれない...。

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